イラクへの自衛隊派遣(2003年11月19日)
イラクへの自衛隊派遣が論議を呼んでいます。
本年7月26日にイラク特措法が成立してから、イラク国内での自爆テロ、しかも米英以外の国や国連組織などを狙ったテロが目に見えて増え、その範囲はバグダッド周辺からイラク全土に拡大されました。
イラク特措法の条文のうち「戦闘行為」に関わる部分を読んでみると、活動場所が危険になった場合には一時休止や避難する旨も明記されています(第8条4項・5項)が、そもそも「武力の行使」自体は念頭になく(第2条2項)、危険なところには行かない、行かせない(同3項)ということが書かれてあります。
この法律を制定したときには、自爆テロやフセイン残党によるミサイル等の反撃は想定されていませんでした。
イラクは今「きわめて戦争に近い状態」(アーミテージ国務副長官)にあり、また、アルカイダは自衛隊の派遣が日本の中心部を攻撃する可能性につながる声明を出しました。
自爆テロの危険は予測できるものではありません。政府は、勇気をもって「派遣の延期」を決断すべきです。
また、それでも派遣やむなしというのであれば、せめて第17条の武器使用要件を抜本的に見直し、テロリストと対峙できるだけの武器使用を認めるよう、法律を改正してからにすべきです。
このままでは、「行かされる者」の危険が大きすぎます。
『諸君!』11月号「インテリジェンス・アイ」掲載論文より(2003年11月2日)
「近衛文隆の“心”が眠るシベリアの大地」(『諸君!』2003年11月号掲載) 重い緞帳があがると、仄暗い舞台一面に白い雪に蔽われたシベリアの荒野が広がる。
疎らに生えた木々の間に点在する土饅頭の墓。すっかり葉の落ちた枝は、骸骨の指みたいで不気味だ。やがて二枚目の紗のようなカーテンがあがると、淡い照明の下に車座に坐っているシベリア抑留の日本兵捕虜たちの群像が浮かびあがる。白く凍りついた防寒帽。ボロボロのカーキー色軍用外套。へしゃげた兵隊靴。防寒手袋。飢えと寒さと非人道的な重労働に疲れ果てたシベリア抑留の日本兵たちの姿。
華やかな歌と踊りではじまるはずのミュージカルのオープニングとはとても思えない陰惨な第一幕である。2003年9月2日、私は日本赤十字社近衛忠煇副社長夫妻に誘われて、日本スイス協会主催の団体観劇に参加した。
戦時中朝日新聞社論説主幹だった亡父・弘雄は近衛文麿首相のブレイン「朝食会(あさめしかい)」のメンバーとして、近衛公を扶け、支那事変(当時の表現)早期講話、日独伊三国同盟反対、日米交渉推進に、特高や憲兵の監視の下、命を削る政治活動をしていた。
同公の長男文隆氏のシベリアでの悲劇には心から同情していた私は、浅利慶太氏が一体どうやってこの重い苦しいテーマをミュージカルに仕立てる気なのだろうと心配しながら列席した。ソ連が60万の日本将兵を国際法に反してシベリアに抑留し、強制労働に服させ、そのため6万余の日本兵が恨みをのんで異国の土と化した悲劇は、ソ連が崩壊するまでの戦後の日本では、封印された禁断の昭和史の一頁だった。戦友を裏切り、祖国を売ってソ連の協力者となることを誓約し、帰国後「スリーパー」として秘かにソ連のスパイや工作員となっていた、いわゆる誓約引揚者は許せない。“アクチブ”とよばれ、ソ連のKGBや政治将校の手先となって日本兵捕虜の洗脳につとめ、応じない者を「暁に祈る」とよばれた酷寒の収容所の屋外に野ざらしにする拷問・虐待を行った転向売国奴たちの捜査を担当してきた外事警察OBとしても関心を抱かざるを得ない劇だった。どう描くの? 大丈夫ですか? 浅利慶太さん。
左翼勢力は極左過激はテロリストたちを含めて、まだ根強く生き残っている。公演妨害や演出者や出演者たちへのいやがらせ、左翼メディア分子からの敵意ある酷評や意図的無視という不愉快もあるだろう。14万といわれる「劇団四季」のファン・クラブや浅利フリークがそっぽを向くかも知れない。親からも教師からも後代に申し送るべき昭和史を教えられていない平成世代の若者たちは、なんにも知らないのだから「異国の丘って?」と訝るだろう。開演のベルが鳴るまで、私はそんな不安を覚え、ハラハラする思いで座席に坐っていた。
主人公は公爵・近衛文麿首相の御曹司、近衛文隆氏。劇中では「九重(ここのえ)陸軍中将」だ。
近衛内閣崩壊、東条英機内閣発足とともに近衛文隆氏は関東軍に懲罰配置され、シベリア抑留の憂き目に遭う。ソ連KGBは彼を洗脳し、ソ連の協力者として誓約書に署名させ、戦後日本の共産化の拠点人物に仕立てようと計り、懲役25年の刑を科し、帰国を餌に手を変え品を代え“九重中将”を迫害する。が、九重中将は実に11年間に亘ってこれを拒否し続け、このまま生かして帰すわけにはいかないと判断したソ連は薬物投与で九重中将の命を奪うのである。
物語は斬新な企画、緻密な脚本、悲劇の貴公子の光と影、栄光と極限状況、明と暗を、シベリア、ニューヨーク、上海、またシベリアとキビキビとフラッシュ・バックさせ、工夫を凝らした舞台装置、照明、大道具、小道具、そして若い男女俳優の鍛えこんだ踊りとブロードウェイを凌ぐ歌唱力とで見事に展開する。あの大ヒット曲、時系列のちがう「異国の丘」を、既存の歌謡曲の収容所バージョンの替え歌としてごく自然に導入した手法も見事。心搏つモノローグの科白。ソロの絶唱、語り、それが満席の老若男女の心の琴線に触れるのか、暗転するとき時ならぬ拍手が起こる。車座で坐る日本兵たちの会話がよい。
「九重中将、毎日々々何時間も尋問されて気の毒やな」「いっそウソでもええから誓約書に署名したらええんや」「なんばいうとっとか!!九重公の息子ぞ。ニッポン男子たい。絶対にソ連の協力者なんぞにならんばい」
暗闇からKGB女将校の8時間に及ぶ尋問に疲労困憊した九重中将がよろめき出る。
「今日はまた、何の尋問ですか?」
「アメリカにいた頃、米国特務機関と接触したろうと・・・・・・。全く身に覚えのないことだ」
そして舞台は一転し、チャールストン大流行(狂乱の30年代)のニューヨークの華やかな社交界に変る。英国公使、中華民国蒋介石総統の宋美齢夫人など貴顕淑女のハイソサエティーのダンスパーティーで“プリンス・ココノエ”ともてはやされる日本の総理大臣の御曹司。蒋介石の姪との禁断の恋。中国侵略の日本帝国主義への烈しい国際批判にさらされる九重氏の苦悩。学友として米国留学中の愛国日本青年との葛藤。対日憎悪に燃える中国学生の暗殺未遂。身を挺して父の親書を携えての上海工作とその悲惨な失敗。
舞台が暗転して再び悲惨なシベリアに戻る。そこに転向したかつての愛国青年、ニューヨークでの学友がKGBのサディストの女将校の手先となり果てて登場する。ソ連の「誓約引揚者(スリーパー)」として帰国し、正体を隠して日本の政官財界で戦後立身出世した人たちが実在していることを知る私は、誓約書への署名を強要する裏切り者の姿をスリーパーたちとオーバーラップさせて凝視した。
「なぜそんなに強情に拒否するのか!!」
九重中将は答える。「たとえ命をはじめすべてを奪えても奪えないものが一つある。それは『心(誇り)』だ」
余命いくばくもないと悟った捕虜の一人が、紙に書くと警備兵に没収されるからと戦友たちに両親や妻子への遺言を口述し、戦友たちがうなだれながら暗唱するシーンでは、こらえていた涙が頬を伝う。こっそり見廻すと仄暗い場内にはハンカチがちらついている。
おどろいたことに、場内は満席の盛況で、女子高生らしい団体など若い観客が多い。そして老若男女、みんな感動し、観客席は静まりかえっている。心搏つ科白。絶唱。語り。暗転すると時ならぬ自然発生的な拍手が随所に起こる。それは、日本の昭和史を親たちが、日教組教師たちが自虐的に封印し、若い世代に教えようとしなかった真実が、ミュージカル「異国の丘」を通じて水が砂に吸いこまれるように、ごく自然に若者たちの心にしみとおってゆく姿だった。
これが「教育」というものだ。シベリアの日本兵墓地の現場での「教育」は、もっと効果的だった。湾岸戦争後日本は人的国際貢献をすべしという主張を自ら実践すべく創設した「日本国際救援行動委員会(JIRAC)」は、カンボジア難民救援12回、シベリア老人ホーム、孤児院、身障者救援の日の丸掲げてのボランティア活動9回を行った。シベリア支援の際は、ウラジオストック近郊の日本兵墓地に毎回墓参したが、ある時不勉強な男子学生が「ここはどんな日本人が埋まっているんですかね?」と質問した。私の隣で草むしりしていた青山学院大学の伊藤憲一教授が爆発した。「歴史を学べ、不法なシベリア抑留で憤死した6万の日本兵の墓地だ」
約90人の学生たちは凍りついた。するとシベリア4年抑留の篠田慶治元警視庁警視が「私の戦友たちだよ、寒くて飢えててキャベツ1個盗んだ戦友が目の前で射殺された。その私がなぜ参加したかというと近所の老婆が我々を憐れんで食物を恵んでくれた。そのお礼にきたんだよ」。車座になった学生たちは沈黙し、自発的に日本兵墓地のそこここに散っていった。
「異国の丘」が終ったとき観客は純粋に感動し鳴り止まぬ拍手を送った。それはシベリア墓参の学生たちの反応に相通じるものだった。
【注:ホームページ転載にあたり、漢数字を算用数字に書き換えました】
昨晩 放送されましたテレビ番組(バラエティ討論番組)について(2003年10月28日)
私としては、真面目な議論が行われるのであれば、バラエティ番組とはいえ日本の危機管理や安全保障問題について多くの人に知ってもらい、考えてもらえる機会であると考え、出演を決めたものであります。
しかしながら、スタジオでのせっかくの議論も、編集の段階でずいぶんカットされてしまい、私が意見を述べると言うよりも、大きな声を出している姿がクローズアップされたように思われます。
そこまでに至った議論の経緯ややりとりの内容が、必ずしもきちんと放送されなかったことは、残念です。
いただいたメールの中には、「よく言ってくれた」「すっきりした」と評価してくださる反面、「出演番組を選んだほうがよい」「品位を失う」とのご指摘もありました。
十分に参考にさせていただきたく存じます。
貴重なご意見、まことにありがとうございました。
小泉総理の訪朝について(2003年9月18日)
小泉総理の訪朝から1年がたちました。
この間、拉致被害者のうち5名が帰国し、国民の関心も世論も一気に高まりました。
しかし、拉致問題については昨年の日朝平壌宣言ではまったく言及されておらず、8月の6者協議の場においても合意に至りませんでした。
一方、米国のアーミテージ国務副長官が「拉致はテロである」と発言、ブッシュ大統領が全面的な支持を表明し、国連人権委員会は拉致問題解決要求決議を採択、サミット声明にも明記されました。
9月9日建国記念日に軍事パレードが行われなかったのは、核をめぐる6者協議が影響したとも言われています。
北朝鮮外交は「対話」と「圧力」です。
国際社会と協調し、北朝鮮に断固拉致問題の解決(被害者・家族の全員帰国)を迫ることが必要です。
拉致に言及されていない「日朝平壌宣言」の精神に立ち戻って2国間で交渉していたのでは、いつまでもこの問題は解決しません。
新しい内閣の顔ぶれ、行動力に期待します。
2003年3月26日
3月23日付『産経新聞』「正論」欄掲載論文
「武力制裁は『イエス』戦費負担は『ノー』だ」(『産経新聞』3月23日掲載) ◆国際社会と日米同盟両立
いよいよイラクに対する国連の武力制裁が始まった。あえて米英といわず「国連の」という訳は、これは国連の禁ずる「戦争」(侵略行為その他の平和の破壊)ではなくて、「国連憲章第7章『平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動』(制裁)の第42条「空軍、海軍、又は陸軍」(国際警察行動としての武力行使)だからだ。国際法上の根拠は、クウェート「侵攻」に対しては国連安保理事会決議第678。「大量破壊兵器、射程150キロ以上のミサイルの即時無条件破棄を条件としての停戦」、そして「16回に及ぶ決議違反に対する第1441条決議」(安保理15カ国全会一致。いささかのウソ、遅れ、妨害は「深刻な結果」)の3決議だ。
とくに第687は「撃ち方やめ」だから違反があれば直ちに攻撃再開してよく、現に1998年12月16日、クリントン大統領は国連の決議もないまま英と共に(仏独は支持)「砂漠のキツネ作戦」を4日間展開し、航空機650機・巡航ミサイル450発(湾岸戦争300発)による武力制裁を行っているが、誰もいわなかった。
◆マスコミの世論調査の誤り
マスコミの「戦争か平和か」という二者択一の選択肢による世論調査の設問の仕方は誤りだ。誰でも「平和」と答えるに決まっている。「国際社会かアメリカか」「国連か日米同盟か」という二者択一もミス・リード。「米英単独攻撃」という大見出しもあやまり。すでに45カ国が米国支持を表明し、オーストラリアなど少なくとも8カ国以上が派兵(非戦闘員を含む)を申し出ていて、二桁近い多国籍軍が編成できるだろう。
この「単独攻撃」という言葉で想起されるのは、昭和26年(1951年)のサンフランシスコ講和条約締結だ。朝鮮戦争中だったこともあってマルクス・レーニン唯物史観イデオロギーに染まった当時のマスコミは一斉に「単独講和反対、全面講和を」と声高に論じ、 全面講和論を唱えた南原繁東大総長を吉田茂総理が「曲学阿世」と批判した。ソ連の反対を押し切ってアメリカとだけ締結を結ぶ「単独講和」は反対で、ソ連を含めるのが「全面交話だという意見だったが、いざ講話条約調印の席に就いてみたら、52カ国の“戦勝国”が着席していて、ソ連(現ロシア)ら3カ国が反対。「単独」と「全面」が実は全く逆だったのだ。
3月20日、ブッシュ大統領は開戦演説で「世界35カ国以上」が基地の利用や情報の提供、後方支援、実戦部隊投入など、重要な支援を提供していると語ったとおり、「米国孤立」も誤り。平和への脅威に武力制裁を加えるのは国連の義務であり、不作為は国連の自殺行為となるのだ。「安保理が責任を全うしないからわれわれがそれを全う(代執行)する」と言明したブッシュ大統領を「独裁者の手に大量破壊兵器が渡ったら、何十万の生命がおどかされる」として支持した小泉純一郎総理の苦渋の決断は、国際協調と日米同盟を両立させるため、国連を守るための正しい決断だ。もし国際連盟の二の舞になったら、国際社会は再び、弱肉強食のジャングルの掟に逆戻りしてしまうだろう。
◆常任理事国の責任は
国連崩壊の危機を招いたのはイラク制裁の各決議に賛成投票(中国は第678棄権)しておきながら、拒否権を仄めかして常任理事国の責任を果たさず、武器売り掛け代金回収や石油採掘権というエゴイズムの国益を優先させた露・中・仏、特に仏のシラク大統領だ。ミドル6とよばれた非常任理事国も不甲斐ないが、ドイツも無責任。
国際連盟を壊し、世界対戦を起こしたのは、日独伊三国だが、ドイツはいま問題のC(化学)兵器、サリンなどの神経ガスを開発した国であり、ミサイルの原型V1・V2ロケットを実践使用した最初の国だ。日本は今、「悪の枢軸の一国北朝鮮の軍事恫喝の下にあり、日米同盟こそがノドンから日本を守ってくれる条約だから、米国のイラク制裁には『イエス』というべきだが、イージス艦も派遣しているのだから、今度は戦費負担の必要はない。2兆円と噂される対日戦費割り当てがあれば、『ノー』と堂々といい、露中仏独に支払わせろ」というべきだ。
【注:ホームページ転載にあたり、事実関係に基づき、新聞に掲載された文章を一部訂正いたしました。また、漢数字を算用数字に書き換えました】
3月13日付『産経新聞』「正論」欄掲載論文(2003年3月26日)
「米国の武力行使は国連安保理の代執行だ」(『産経新聞』3月13日掲載) ◆玉虫色の査察追加報告
3月7日の国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長と国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長のイラク査察状況の追加報告は、またまた曖昧で玉虫色の、どちらともとれる内容に終わった。「協力は改善されたが十分とはいえない。アッサムード2の廃棄は評価するが、大量破壊兵器廃棄の挙証責任は果たされていない」云々と責任逃れ、優柔不断の姿勢は国連の自殺行為である。
ついで早暁まで続いた国連安保理各国代表、とくに非常任10カ国の発言もまた賛成なのか反対なのか耳を凝らして聞いても、意味不明。武力行使容認には15カ国のうちの9カ国の賛成が必要だが、この期に及んでもなお態度を決めないメキシコ、チリ、カメルーン、アンゴラ、ギニア、パキスタンといった開発途上国や弱小国に人類の運命を左右する安全保障上の重大決議のキャスティング・ボートを持たせておいて本当にいいかと思った。
第一次大戦後にできた国際連盟(リーグ・オブ・ネイションズ)は、同連盟決議違反国に対する武力制裁の条文を欠いたために、日独伊3国の暴走を止めることができずに崩壊した。
国際社会は、国際連盟の失敗を深刻に反省して1945年、国際連合(ユナイテッド・ネイションズ)を創設し、国連憲章第7章(平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動)を新設して、違反国に対する強制と制裁、即ち、第39条の勧告、又は措置(非軍事的措置及び軍事的措置)の決定、第40条の事態悪化防止のための暫定措置(PKOなど)、第41条の非軍事的制裁(経済・運輸など)、そして最も大切な第42条、すなわち陸・海・空の武力による制裁の規定が導入されたのだ。
91年の湾岸戦争では、拒否権を持つ常任理事国5カ国もゴルバチョフ・ソ連が賛成投票し、鄧小平・中国が棄権したことから、イラク武力制裁の国連決議第678号の28多国籍軍による第42条制裁が初めて実施され、国連の存在意義が証明された。
◆混迷する安保理
第1441号決議も、サダム・フセインが16の安保理決議に継続的に違反しIAEAの査察を公然と妨害し、大量破壊兵器、中距離ミサイル開発について、国際社会を納得させるに足る説明責任を果たしていないからこそ、15カ国の全会一致で採択されたのではなかったのか。
長期に亘る安保理審議の混迷をみていると、このまま推移すれば、国際社会による違反国への制裁を規定した憲章第7章は空文化し、また国際連盟の失敗を繰り返すことになるのではないかと憂慮される。
満州事変が起きたとき、国際連盟総会の全会一致の対日撤兵決議がなされた。だが、ときの日本の松岡洋右外務大臣は史上悪名高い「ウォーク・アウト」をやり、自席に戻ることなく退場し、国際連盟を脱退して、戦争への道を歩んだ。ナチス・ドイツの暴走も国際連盟はなすところがなかった。
◆日本は許す限りの協力を
国際社会は、20世紀何千万という人類の血を流してヒトラー、スターリン、毛沢東、そして近くはユーゴのミロシェビッチのごとき暴虐な独裁者を打倒し、秘密警察による人権侵害の全体主義専制政治と戦い、自由で豊かで平和な人類の未来を夢みて、国際連合構想に到達したのではなかったのか。いま、21世紀に存在することを本質的に許されていないサダム・フセインと金正日という独裁者が、国際社会の安全を脅かしている。
2月21日付東京新聞は「米国民戦争支持の理由」としてCNN・米誌タイムの世論調査の結果、「フセインが独裁者だから」が83%と「大量破壊兵器の武装解除・72%」「テロとの戦い・68%」を上回ったという。
日本も国際連盟を「ウォーク・アウト」して崩壊させた責任国家としての反省に立脚して、国連憲章第7章の制裁規定の重要性を声を大にして発言すべきだ。
米国の「パックス・アメリカーナ」の一国支配に諸国が反発するのおわかるが、国際連盟を崩壊させた日独伊三国同盟の「枢軸国」は、国際連合を守るために反独裁、反覇権、反大量破壊兵器の「悪の枢軸」に対する国連に代わる米国武力行使を「支持」し、憲法の許す限りの協力を行う責任がある。
サダム・フセインが国連決議に従いさえすれば、戦争はないのだから。
【注:ホームページ転載にあたり、漢数字を算用数字に書き換えました
2002年危機管理総括 「今年の3大危機 -北朝鮮・イスラム原理主義・政党政治の崩壊」(2002年12月25日)
2002年もまもなく終わろうとしています。
低迷する経済不況、赤字国債依存度40%を超す財政危機、減らない不良債権、5.6%の失業率、検挙率20%の治安の悪化など、日本国はいま、危機の大暴風の中を舵取りもいないままに漂流している破船です。
だが、「危機管理」という国民の生命・身体・財産を直接脅かす危機に対する視点から2002年を総括したとき、3大危機は何だったか。それは、次の3つだったと思います。
1.北朝鮮問題
9月17日の小泉総理訪朝に端を発した「拉致問題」は、サッカーW杯に次いで国民の心を一つにした大事件でした。
8件11名の拉致被害者のうち8名が死亡したと伝えられ、5名が“一時帰国”しましたが、ウソ八百の北朝鮮の発表には国民が等しく憤激し、24年間放置してきた外務省や自民党・社民党(旧社会党)らの親朝派政治家への非難の嵐が吹き荒れました。
それは、あまりに無関心にすぎた自分たち自身への反省と、門前払い・厄介者扱いをされ続けてきた横田めぐみさんのご両親をはじめとする拉致被害者家族への涜罪(とくざい)の念と同情の爆発だったのでしょう。
これに加えて、北朝鮮はケリー国務次官補に対し、開き直って「核開発」を続けていたことを認め、寧辺の黒煙路の封印をとき、核施設を再稼働し始めました。
よって、カーター・クリントン民主党政権の94年米朝合意は反古(ほご)になったのです。
米国は年間50万トン、8年間で合計400万トンの重油をだまし取られ、日本も軽水炉建設費10億ドルを搾取されたのです。
ノドンは100基実戦配備につき、テポドンの発射実験も近く再開するでしょう。工作船も引き揚げられ、その恐るべき重武装ぶりが白日の下にさらされました。
国連もIAEAも、北朝鮮に核開発を停止するよう決議し、米国防長官は「2正面作戦に対応する用意がある」と発言しました。
北朝鮮問題は大量破壊兵器とその運搬手段としてのノドン・テポドン・工作船・拉致・覚醒剤大量密輸・朝鮮銀行のパチンコ送金など、重大な「治安問題」からさらに発展して、「安全保障・防衛問題」すなわち軍事問題へと脅威が増大しつつあります。
日清・日露戦争以来、日本がこれほど近隣諸国から直接的軍事脅威にさらされたことはありません。
2.イスラム原理主義テロ
2001年9月11日の米国同時多発テロ以来、イスラム原理主義の過激派テロは、21世紀の世界の平和と安全に対する重大な脅威となりました。
マルクス・レーニン主義と唯物史観に源流を発する極左テロリズムがようやく終熄したと思ったら、オウム真理教のようなカルト集団犯罪に加えて、狂信的イスラム原理主義による自殺・特攻テロが世界各地で起こり、2002年を血で彩りました。
観光地バリ島のオーストラリア観光客を狙ったクラブ爆破テロ、イエメン沖でフランスのタンカーを炎上させた小型艇体当たりテロ、モスクワのオペラ劇場を占拠したチェチェン・イスラム過激派の立てこもり事件、ケニアで起きたイスラエル観光客を狙ったホテル爆破、民間航空機へのミサイル攻撃など、いずれもイスラム原理主義に基づく宗教的・民族対立的色彩の濃いテロでした。アルカイダのビン・ラディンも、いまだ捕まっておらず、世界的規模でのアルカイダ残党狩りが続いています。
そして最大の軍事的危機は、イラク武力制裁の問題です。
目下、国連による核査察が行われています。
しかし、国連安保理決議第1441号は、「いささかの偽り、いささかの欺瞞も重大な結果を招来する」と明記しているし、1991年湾岸戦争終結時、イラクとの停戦協定の条件となった武装解除の規定には、「核・生物・化学兵器全廃」と「射程150キロ以上のミサイル」となっています。
この協定に基づいて、4万発の生物・化学弾頭や850余基のスカッドミサイル(射程500キロ)が査察団によって爆破処理されましたが、当時から相当隠匿されているとの情報もあったくらいですから、あれから12年経った今日、これらの禁制品がゼロということは考えにくいので、米軍およびこれに協力する国連加盟国による軍事制裁は必至と見られます。
日本もテロ特措法により、海上自衛隊艦船5隻を派遣し、12月には老朽ヘリ搭載護衛艦「ひえい」(艦齢28年)に代わって、新鋭イージス艦「きりしま」を派遣しました。
イージス艦の派遣については、レーダー覆域約500キロとも言われ、情報を米軍と共有するため「集団的自衛権」に抵触する憲法違反だとして自民党抵抗勢力から反対意見が出ましたが、「ひえい」も100キロまで警戒できるレーダーを搭載しています。100キロだと個別的自衛権で、500キロだと集団的自衛権に抵触するというのは“柄のないところに柄をすげて“の反小泉政争に他ならない謬見です。
1991年のPKO派遣のとき、当時の村山富市社会党内閣の故 岩重寿喜男総務長官が「600名の施設大隊(工兵)が12.7ミリの機銃一挺を携行するのは『武器の使用』だが、二挺持ってゆくと『武力の行使』になる」と言って一挺だけ承認した、あの発想に酷似しています(当時PKO本部は総理府所属)。
国際協力、国連協力についても、「費用対効果」というのは大切な考え方です。湾岸戦争に際して、日本は人的参加は憲法違反だとして140億ドル(1兆6000億円)の軍費負担をしました。
湾岸戦争は1991年1月17日から2月28日までの42日間の戦争でした。その際、米国に拠出した90億ドルの分担金の積算根拠は「1日5億ドル×90日×20%」でした。20%とは、日本の国連費の分担比率です。ところが戦争は42日で終わったのですから、本当は「90日マイナス42日」で48日分、1日5億ドルで48億ドルのお釣りがあって然るべきだったのです。
湾岸戦争は、日本に1日3億ドルの負担となりました。1億3000万国民が、赤ん坊にいたるまで一人1万1000円位を拠出した計算になります。
昨年11月のテロ特措法に基づいて、海上自衛隊艦船5隻を1年間インド洋に派遣した経費は、1億2000万ドル。
これを国民一人あたりにすると約1ドル(130円弱)、365日の日割りにすれば、わずか3.25円という数字になります。円・ドルレートによって少しは変わりますが、この大きな違いを国民は冷静に比較検討して、どちらがよいか選択すべきでしょう。
「イージス艦を派遣すると戦争になる。高くつく」という愚論があります。
そもそも「イージス」とは、ギリシャ神話にでてくる「楯」。対地攻撃の兵器はなく、いわば「防空巡洋艦」です。
また、洋上補給や輸送業務は、イラク・アフガニスタンから約4000キロ離れたディエゴ・ガルシア島中心の海域で行われますから、爆撃機も潜水艦も長距離ミサイルも持たないイラクやアフガニスタンからみれば、明らかに戦闘区域外です。
テロ特措法が「危険なところに派遣しない」と定めていますから、海上自衛隊員たちは日本周辺の海上勤務と同様に航海手当だけで危険手当の支給は受けていませんから、「イージスだと高くつく」ことはありません。
3.「昭和デモクラシー」の崩壊
2002年に表面化した日本の最大の危機は、議院内閣制による政党政治の「昭和デモクラシー」が崩壊したことです。
「いまは『平成』です。平成デモクラシーでは?」とお考えの方が多いと思いますが、第一次世界大戦の勝利によって発展した「大正デモクラシー」の議会政治が、政党の腐敗により崩壊し、昭和維新の声があがり、軍部が台頭したのは昭和15年頃です。
そして昭和の軍閥政治が日本を破滅させ、昭和20年マッカーサーによって「昭和デモクラシー」が誕生したのです。
その「昭和デモクラシー」が、いま平成14年に末期症状を呈しているのです。1日も早く自由民主主義の枠内で内閣と内閣総理大臣の権限を強化し、国益を思う無私の強い指導者たちを結集し、40歳代をもり立てて「平成デモクラシー」を創り出すべき秋(とき)がきています。
2002年ほど、議長や総理候補、閣僚経験者、野党党首など、既成の「昭和デモクラシー」の旗手たちがスキャンダルまみれとなって逮捕され、議員辞職に追い込まれ、党首の座を失った年はありませんでした。
加藤紘一元自民党幹事長、田中真紀子前外相、井上裕前参議院議長、いずれもスキャンダルで議員辞職に追い込まれました。
鈴木宗男元北海道開発庁長官は、ODA汚職で逮捕されました。
野党の社民党土井たか子党首は公設秘書給与詐欺疑惑と拉致問題対処不適切で、脱党者続出の孤立状態、鳩山由紀夫民主党代表は、失脚して菅直人代表に代わり、野田毅保守党党首は党の分裂でわずか3人の会派となり、社民党のスポークスマンで新時代の旗手ともてはやされた辻元清美前政審会長も秘書給与疑惑で議員辞職しました。
また、自民党がいて自由党・民主党・保守党が乱立し、それがさらに保守新党・保守クラブと、二大政党のサミット国、英米独らとはおよそかけ離れた政党政治の崩壊ぶりは、日本の前途に暗雲をたれ込めさせています。
折から塩野七生女史が『ローマ人の物語 ⅩⅠ―終わりの始まり』を刊行しました。このままではギボンの『ローマ帝国衰亡史』の一節のように「蛮族来タリテローマ滅ビタルヤ、非ズ、ローマ自ラ滅ビタリ」になってしまうでしょう。ドイツのワイマール共和国体制を打倒したのは、国家社会主義ナチスのヒトラーでした。
幸いいまの日本にはヒトラー出現の兆しはありません。まだ間に合います。いまのうちに自由民主主義の枠内で国家危機管理体制を整え、内閣総理大臣に非常大権を認める「平成デモクラシー」の創設をはからなければなりません。
「平成デモクラシー」の旗手は、小泉純一郎総理であり、石原慎太郎東京都知事であり、平沼赳夫経済産業大臣、麻生太郎自民党政調会長、高村正彦元外相らだが、近年北朝鮮危機と拉致問題で、官邸に40歳代のニューリーダーが目立ちはじめた。安倍晋三官房副長官がその人です。
昨年の9月11日までは、安倍副長官はあの温和で紳士的な安倍晋太郎氏の息子だった。だが9.11以後、彼は故岸信介元総理の孫になった。「平成デモクラシー」の旗の下に、政治指導者たちが結集してほしいものです。
2月6日付『産経新聞』「正論」欄掲載論文 (2002年2月6日)
「治安の悪化を憂う」(『産経新聞』2002年2月6日) ◆「好ましからざる人物」の急増
「犯罪発生件数250万、検挙率20%とはいかに。世田谷一家4人殺しはなぜ捕まらん」と、国民を代表して地元の警察署長にきいてみた。今や治安の悪化は重大な社会問題で、国民は不安をおぼえているぞというと署長は「懸命にやっておりますが、留置場は満ぱい、拘置所も満ぱいで被疑者を受け取ってくれません。
だから身柄をとる強制捜査が留置場の空き待ちです。
先日中国人の8人組ピッキング強盗団を捕まえました。
その取り調べに通訳を雇うと15分で2800円。
8人、1時間の取り調べで約10万円の捜査費。黙秘されたら大変。なんとか外国人犯罪者を国外追放するか、刑務所に入れて下さい」と陳情された。
別の警察署に所用で立ち寄ったときにもきいてみた。
「留置場定員48人は常に満ぱい。半分は外国人、それも大半は中国人です」との答え。
府中刑務所の研修に講師として招かれたとき実情をきいた。
所長の答えは、「府中は長期3年以上の累犯(再犯)を収容し、定員2000人ですが、在監者2900人。うち500人が外国人。看守は英・中・朝・スペイン・タガログ語など32カ国語が必要。安上がりの給食はカレーですが、イスラムがいるから豚肉がつかえず、牛肉はインド人が拒否、イスラムは1日に何度もコーランを唱え排跪するから房内の秩序が保てない。ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)として国外追放し、それぞれの国で服役させる手はないでしょうか」。
◆英語に取って代わる中国語
「警察留置場を代用監獄として使うのは人権蹂躙」と叫ぶ人権派弁護士や左翼インテリはなぜ「警務素・拘置所の増設を」と訴えないのか。
警察白書を読んでみた。
なるほど警察署長や刑務所長のいうとおり。日本の人口は1億3000万。
合法的で正業にいそしむ善良な登録外国人は約150万。
人口比1.1%それが凶悪は(殺人・強盗・放火・強姦)に占める外国人比率は4.2%、東京都に限ると11.1%。不法残留者25万人(本来なら国外退去又は拘置所収容)。
犯罪外国人検挙者総数は1万2711人。
平成2年から10年間で検挙件数で4.9倍、人員で2.7倍である。
このうちアジア系外国人が1万433人(82%)。
中でも中国人が件数で54.2%、人員で40.8%。
平成8年に29.7%だった中国人刑法犯検挙は61.8%と6割を超えるに至った。
罪種別では、殺人、緊縛強盗、拳銃使用など凶悪犯が増え、警察官への発砲も目立つ。
殺人では同国人の成功者を襲うが(63%)、強盗では日本人を狙う事件が78.4%という由々しい事態となっている。
外国人犯罪の27.3%が不法滞在者によるものである点も見逃せない。
とくに外国人の侵入盗、居直り強盗6396件中、中国人は実に5173件(80.9%)、検挙人員539人(80%)に達する。
昔は不良外国人たちは「警官に職務質問されたら英語を使え、彼らは怯む。拳銃は使用禁止だから怖くない」と豪語していた。
今日では中国語が英語に取って代わった。
◆空文に等しい「措置入院」
刑務所・拘置所は全国で189カ所、収容人員は6万5507人、収容率101.2%、既に定員オーバーだ。
加えて刑法第39条で免刑、減軽となった「精神保健福祉法」(厚生労働省所管)対象の「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある」凶暴な精神障害者を社会から隔離するための知事命令の「措置入院」(治るまで強制収容)という安全管理行政は空文に等しく、危険極まりない精神障害者たちは野放しだ。
石原慎太郎都知事が原宿警察署跡地に800人収容の警視庁総合留置場建設を企てると、迷惑施設建設反対の住民運動が起きてしまう。
炭坑閉山で人口激減の山口県美祢市の刑務所誘致運動は誠に有り難いが、都市部、とくに東京の治安対策にはならない。
これに対する対策は、
(1)警察官定数(228万8000人、人口負担551人、欧米のほぼ倍)を増員し、人口負担500人を目標に24万体制とする。
(2)刑務所、とくに外国人専用刑務所新設。
(3)凶暴精神障害者で刑事処分を逃れた者の隔離病院増設。
(4)外国人、とくに中国人に対する過度の外交的配慮を直ちにやめ、ビシビシ検挙すること。
(5)ペルソナ・ノン・グラータとして出身国に強制送還、服役させる外国人管理行政を確立させる。
(6)昨年12月、村井仁国家公安委員長の英断で改正された「警察官拳銃使用規定」の緩和を自信を以て遂行し、警察官の抑止力を向上させる・・・などである。
【注:ホームページ転載にあたり、漢数字を算用数字に書き換えました】
映画製作の凄さ -原田眞人監督に脱帽(2001年12月18日)
12月14日。
奇しくも忠臣蔵討ち入りの日、新潟県光が原高原ので行われている映画『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002年5月東映にて公開予定)のロケ現場を夫婦で訪問。
横殴りの吹雪の中で、原田眞人監督の撮影ぶりを見学した。
主演の役所広司さんをはじめ、地元のエキストラもいれると約100人のスタッフたちが、豪雪・烈風・つららも下がる凍りつかんばかりの現場で、何回も何回もリハサールと本番を繰り返す。
あさま山荘のセットも、モンケーンも、そして防弾装甲車も、まるで30年前を彷彿とさせるリアリティに驚倒。
「映画」というものに対する考えを一変させる、鮮烈な体験だった。
降り続く白雪をフードやダウンコートにつもらせての原田監督、阪本カメラ監督の映画芸術への熱情には、頭が下がる思い。
映画製作があんなにリスキーで体当たりの勝負とは知らなかった。
決して虚業ではないのだ。
すごい傑作ができるのでは、との期待がたかまる。
年老いた当時の隊員たちが、どんなに喜ぶか、その姿が目に浮かぶ。
豪雪で丸一日空費したとか。天佑神助をねがってやまない。
10月7日付『朝日新聞』「私の視点」欄掲載論文(2001年10月9日)
「ショー・ザ・フラッグ」という言葉が話題となりました。
現在、テロ対策特別措置法案が国会で審議中であり、また本日、PKO法に基づいて派遣された自衛隊の輸送機が、イスラマバードに到着しました。
米国のべーカー駐日大使は「(何をすべきか)日本自身が決めてほしい。意味のある結論を出してくれることを信じている」と述べました。
これらに対する私の見解を、朝日新聞「私の視点」欄に書きましたので、以下に転載いたします。
「日本は主体的にテロと戦え」(『朝日新聞』2001年10月7日掲載)
政府は5日、米国で起きた同時多発テロに対する国際社会の制裁措置を後方支援するために必要なテロ対策特別措置法案を閣議決定し、国会に上程した。法改正の正攻法は、集団的自衛権の憲法解釈を変更し、自衛隊法第3条の任務既定に「国際協力に関すること」という1項目を追加することだ。しかし、PKO協力法と同様、またまた継ぎ足し建築の時限・特別立法になってしまったのは残念だ。
◆緊急避難の特別立法
正式な法案名は113文字。異例の長さの寿限無(じゅげむ)法で、内容も米軍を念頭に置いた諸外国の軍隊の活動の後方支援となっているが、日本は米国の属国ではない。今回の「ニュー・ウォー(新世紀戦争)」を転機に、国連のテロ撲滅・資金凍結決議と憲法前文の理念に則(のっと)って、「専制と隷従、圧迫と偏狭を一掃すべくつとめている国際社会において名誉ある地位を占める」ため、「自国のことのみに専念せず」、独立主権国家として自主的、積極的に非人道的な国際テロ撲滅の共同制裁に参加する、と小泉総理は度々明言している。その日本国の国家意志を法案でも鮮明にすべきだった。事態の突発性と急迫性にかんがみ、小泉内閣の「緊急避難立法」と理解せざるを得ない。
本国会には「領域警備」任務を自衛隊にも任務付与する自衛隊法の一部改正案が出されているが、重要防護対象の警備は本来警察の仕事だ。戦後、警察は一貫して任務を果たしてきた。人員、装備、予算不足の警察の現状を考えれば、これも「緊急避難」だ。
◆国家としての意思表明
犯罪捜査と軍事制裁とが一体化した「ブッシュ・ドクトリン」とも呼ばれるこの新世紀戦争は、従来の戦争概念を覆す。国家間の戦争でないから国連憲章も日米安保条約も、自衛隊法も周辺事態法も、まして憲法9条の“神学論争”も当てはまらない。「文明市民社会への宣戦布告を受けた文明の、狂信に対する自衛権の行使」(シュレーダー独首相)であり、決して米国の復讐(ふくしゅう)リンチのお手伝いなどではない。
しかも今回のテロは「空前」だったが「絶後」ではない。ローテクのハイジャックがハイテクの「C・B・R(化学・生物・核)テロ)」にエスカレートしたら、という恐怖が世界を支配している。これはビンラディンの国際テロ組織とテロ支援国家アフガニスタンのタリバーンに対する文明国の共同制裁であって、イスラム教やアラブ諸国への攻撃ではない。
日本も多くの犠牲者を出し、経済に大打撃を受けた当事者である。狂信オウム真理教の地下鉄サリン攻撃を受けた世界最初で唯一の国でもある。日本はこれまでテルアビブ赤軍自爆テロ事件、一連のハイジャック犯の要求に屈して「人命は地球より重い」と獄中の殺人犯たちを600万ドルの軍資金をつけて「超法規釈放」し、指名手配犯たちのルーズな密出入国を許したテロに弱腰の準テロ支援国家として批判されてきた。
日本は名誉回復か国際孤立かの分かれ目に立っている。インド洋に後方支援自衛隊を派遣して日の丸を掲げることは、国際テロと断固戦う国家意思の表明だ。同時にハイジャック、C・B・Rテロへの危機管理体制を強化し、サミット決議を厳守して二度と超法規釈放せずと宣言する。汚名返上の好機だ。
米・英軍がアフガニスタンに対する空爆開始
【日本テレビ「ズームイン!Super」10月8日コメント要旨】(2001年10月9日 )
10月8日未明(日本時間)、米・英軍がアフガニスタンに対して空爆を開始しました。 折しも、10月よりレギュラーとなった「ズームイン!!SUPER」の出演日でしたので、早めに局に駆けつけ、午前6時過ぎには、コメントを発表することができました。
本日の私のコメント要旨(一部補足修正)を、紹介いたします。
◆米英の今回の攻撃への評価
アメリカ国内の世論の高まりもあり、イスラム諸国を含む各国へのできる限りの外交努力の根回しもやってから、テロリスト訓練所などに軍事目標を絞って限定的に行った空爆であった。
同時に難民救援物資を投下したことが、今回の軍事措置のもうひとつの特徴である。これは、アフガン国民・イスラム教・アラブ諸国が敵なのではない、という姿勢を明らかにする、良い方法であった。
この作戦については、歴戦の優れた軍人、パウエル国務長官やアーミテージ副長官の影響が大きいであろう。特にアーミテージ氏は、ベトナム戦争時、米海兵隊の最前線指揮官であったため、戦争の苦しみや悲しみを十分知りつくしている人物で、その証拠に彼は、ベトナム孤児はじめ、アジアを中心に約40人の孤児を養子にして育て上げ、現在も5人の養育を続けている。
米国では、今はこの軍事行動に賛成しているが、戦死者が出ると一転して反戦ムードが高まる。したがって、軍事施設、あるいはテロ関係者の施設をピンポイントで狙って空爆し、無力化させて、なるべくNo Casualty Warにしたいわけなのだ。
◆今後の見通し
11月半ばから約1カ月間は、イスラムの一番大切な宗教季節であるラマダンである。その間に戦争を仕掛けることは、10億人のイスラム教徒の反米・反英意識を強めてしまうことになるので、この時期はどうしても避けなければならない。しかも、それが終わる頃にはアフガニスタンには厳しい冬が訪れる。
まず、相手の対空戦争能力をミサイルで叩き、低空鈍足の輸送機による救援物資投下を行い、次にタリバンの軍事能力を低下させ、それから特殊部隊によるビンラディン逮捕のための短期の地上戦をやると考えられる。ベトナム戦争やソ連のアフガン侵攻の時のような戦いとなることは、避けるだろう。
※この事案については、今後も毎週月曜日の「ズームイン!!SUPER」で随時コメントしていくことになるかと存じます。
9月19日付『産経新聞』「正論」欄掲載論文(2001年9月25日)
小泉首相が日本政府としての対応策を発表し、ブッシュ大統領と会談するなど、湾岸戦争と比して、日本の顔が見える支援を検討中です。
さて、本来なら小欄にオリジナルの論文を掲載したいのですが、なにぶんにも取材等に追われ、なかなか執筆時間がとれませんため、9月19日(水)付産経新聞朝刊「正論」欄に書きました論文を、転載したいと存じます。
「困ったときの友こそ本当の友 -国際社会で名誉ある地位得るために」 (『産経新聞』2001年9月19日掲載)
◆事件で一致団結した米国
9月11日勃発した、米国中枢同時多発テロは世界を震撼させ、真珠湾以来のこの大事件で、多民族・他宗教国家アメリカが、瞬時にブッシュ大統領を中心に一致団結してゆく姿は恐ろしい光景だった。ワシントンにいた私は、世界最強の軍事大国が悲しみと怒りで奮い立つ姿を、肌に粟を生ずる思いで目撃した。なにが「ジハード(聖戦)」だ。この狂信者たちと、彼らを陰で操るイスラム原理主義指導者の罪は万死に値する。
飛行禁止が解け帰国の機上で日本の新聞を読んだ私はまたまた対米協力を「憲法の枠内で」という「9条論争」が起っていることを知った。犯人特定のための国際捜査情報協力に異論はないようだから、日本赤軍、オウム、アラブゲリラなどの情報をすべて米側に提供すればよい。問題はパウエル国務長官も明言しているように、オサマ・ビンラーディンが首謀者である公算が高く、実行犯だけでなく彼らをハーバー(政治庇護)したテロ支援国家を軍事力で潰滅させるため米国が軍事行動に出た時日本はどうすべきかということだ。
◆文明市民社会への宣戦布告
これまでの例は、湾岸戦争(1991年)では「支持」「130億ドル支出」「戦争終了後掃海艇派遣」だった。アフガニスタン・スーダン対テロ制裁(98年)では「十分な理解」、イラク空爆の98年は「支持」、2001年は支持・不支持表明せずに終わった。
今度はそうはいかない。ブッシュ大統領は今回の事件を犯罪ではなく「21世紀初の戦争」であり同盟国すべてに対する宣戦布告であると断じてNATO諸国に協力を呼びかけた。ロシアのプーチン大統領も、アフガニスタン周辺諸国、特にパキスタンまで対米協力を申し出た。田中外相の「電灯付きのヘルメットを送っては」というレベルの話ではない。ドイツのシュレーダー首相は、このテロを「文明市民社会に対する宣戦布告」と言い、「米国との無制限の連帯」を約した。これらは自衛権にかかわる憲法9条マターではなく日米安保条約第6条の「周辺事態」でも侵略国家を対象とした国連憲章42条該当の制裁でもない。「狂信者に対する文明人の正当防衛」なのだ。
◆「不作為」で世界の蔑視
従って強いて日本国憲法を援用すれば前文の「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」「いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という憲法の基本理念に則って独立主権国家の自発的意志に基いて国際貢献をなすべきだ。
米国では「第2の真珠湾と思うか」という世論調査に25%がイエスと答えた。日本は60年前は奇襲という作為で世界を敵にしたが、このまま不作為に終始すれば岡本行夫氏の言うように湾岸戦争に次いで再び「不作為」が世界の蔑視を買うだろう。
今回の事件はハイジャックのバージョンだ。4半世紀前西独のシュミット首相はソマリア・モガディシオでルフトハンザ機を奪った西独赤軍一味を特殊部隊の強行突入で射殺して世界の称賛を博した。他方日本政府は日航機をハイジャックした日本赤軍に屈して獄中の犯人11人を“超法規釈放”し、600万ドルを支払って世界中の非難を浴びた。日本政府は今回の米国とビンラーディンの争いを、対岸の火災視してはならない。
狂信的組織によるテロをわが国への脅威と見なしての、自衛隊のコンバタント(戦闘要因)派遣は時期尚早とする意見も多いが、戦闘機、イージス艦は無理でもせめて施設大隊(工兵)の派遣、少なくとも「ノン・コンバタント」(非戦闘要員。輸送・通信・衛生など)派遣は、独立主権国家として、また深く傷ついた米国の同盟国として小泉総理の親書を以てブッシュ大統領に、米国から要求される前に協力を申し入れるべきだ。憲法前文に謳う「国際社会での名誉ある地位」なくして国連常任理事国入りなど夢のまた夢だ。パウエル長官は「今回の協力度合いをみて将来の有事支援の度合いを考える」といっている。日英同盟が解消された歴史をふりかえって日米同盟の空洞化を防がねばならない。英語に「Friend in need is friend indeed」(困ったときの友こそ本当の友)という言葉がある。今アメリカは深く悲しみ、烈しく怒り、どう対処すべきか悩んでいる。こんなときこそ小泉総理がブッシュ大統領の肩を抱いて「私はそばにいるよ」と励ますのが真の友達だと思う。
【注:ホームページ転載にあたり、事実関係を一部訂正いたしました。また、漢数字を算用数字に書き換えました】
ワシントンDCからの緊急メッセージ(2001年9月15日)
わずか数日のうちに、このホームページに2万人近くのアクセスをいただきました。ありがとうございます。
私はいま、ワシントンDCにいます。
サンフランシスコ講和条約調印50周年の9月8日に向けて訪米し、60年代~80年代に連帯してソ連の脅威と闘った米国共和党系の安全保障関係者、リチャード・アーミテージ、ポール・ボルフォヴィッツ、ジェームス・ケリー各氏らと旧交をあたためようと、「Reunion Party」と称するパーティーを主催するために来たのです。
私は、近年日米の人間関係がギクシャクし、やれ偵察衛星だ、ミサイル防衛システムだ、エシュロンだと、ハイテク、エレクトロニクス、コンピュータ情報に偏りすぎ、一番肝心の「ヒューマンインテリジェンス」(ヒューミント)がおろそかにされている、と警告してきたのです。
「偵察衛星にテロリストの顔は映らないし、コンピュータ、エシュロンに彼らのテロ計画や心は読めませんよ」という、ヒューミント国際協力強化必要を訴えていたのですが、不幸にも9月11日、悪夢のような事実が起きてしまいました。
いま、私はここで「アメリカ・ユナイテッド」(ひとつになったアメリカ)の悲しみと怒りを身体で感じています。
帰国とともに、産経新聞「正論」のコーナー、雑誌「文藝春秋 臨時増刊号」(予定)などで、詳しく書きたいと思います。
アメリカの同時多発テロ事件について
(2001年9月14日)
9月11日発生したアメリカのテロの際、私は折しもワシントンDCに滞在中で、前日にはペンタゴンを訪れておりました。
とりいそぎ、産経新聞(9/13朝刊)、ニッカンスポーツ(9/13)、読売新聞(9/13夕刊)に掲載されたコメントの要旨を掲載したいと思います。
第一次大戦以来、本土攻撃を受けたことのないアメリカにとって今回のテロは非常に大きな衝撃となった。繁栄の象徴である世界貿易センタービル、軍事力の象徴であるペンタゴンが攻撃された今回の事件を、アメリカは「戦争」と位置づけ、一致団結し対抗措置をとるだろう。
一方、冷戦終結後、情報戦がハイテクに傾きすぎていたとの反省も始まっている。今回のテロは、米メディアもいうように「ローテクによるハイコンセプト(高度な作戦)なテロ」という新しい手法だった。今回の事件には事前情報もあった。今後は人間関係による情報収集(ヒューマンインテリジェンス)の見直しや、国家間での情報交換が一層必要となるだろう。
明石市花火大会での事故をうけて(2001年7月24日)
7月22日夜に発生した、兵庫県明石市の花火大会で見物客が将棋倒しとなった事故は、まさに人災で、犠牲となられた子どもさん8名とお年寄り2名の御霊に、謹んで哀悼の意を表します。
また、けがをされた多くの方々には、心からお見舞い申し上げます。
結果論になりますが、報道されたような規模の人出が予想される雑踏警備は、民間の警備員の仕事ではなく、警察本来の任務(警察官職務執行法 第4条)です。
関係機関等による事前の打ち合わせでは、事故現場となった歩道橋上の人出対策は、徹底した検討がなされていないとしか考えられません。
旧聞の事例になりますが、1954年1月2日、皇居の一般参賀に38万人が押し寄せ、二重橋で将棋倒しとなって16名が死亡、60余名が重軽傷となった事故、また1956年1月1日には、新潟県の弥彦神社で初詣の3万人が石段上の餅まきに殺到して将棋倒しとなり、124名が圧死、94名が負傷した惨事がありました。これらは、それぞれ当時の警視総監・県警本部長の進退問題に発展しました。
警視庁は、これらを教訓として、「雑踏警備」については細心の注意と綿密な計画の下に実施しており、その後同管内では大きな事故は生じていません。
危機管理の鉄則は、「大きく構えて小さくおさめる」ことであり、空振りはしてもよいが見逃し三振は許されないのです。
兵庫県警は、警備上の問題がどこにあったか、すべてについて警察も含めて徹底的に解明する旨を発表しました。
また、警察庁も「雑踏警備のあり方」について、喚起を促す指示をだしました。
早々の措置は良しとしますが、先般の警察刷新会議の趣旨を徹底すれば、このような事故は事前に防止できたのではないでしょうか。
つまり、分断規制・交通規制・一方通行措置など、警察力をもってしかできない場合の警備は、絶対にガードマンなどに任せてはなりません。
これを怠って子どもと老人ばかり10名の犠牲者を出した今回の事故での県警幹部の不作為責任は、極めて重く、厳重な懲戒処分(行政処分)の対象とすべきものです。
この事故から、これからの盛夏、全国各地で予定されている多くの「行事」に、心して対応しなくてはいけないという教訓を学びとってください
21世紀最初の半年間の危機管理に関する事案(2001年7月12日)
21世紀初頭の半年を振り返り、この間の危機管理に関する事案について、考えてみました。
<1月>
◆中央省庁の大改組
※2月16日の危機管理小論をご参照ください。
◆アメリカでブッシュ政権誕生。
米国のプレゼンスを強くアピールしています。特にミサイル防衛(NMD)構想や北朝鮮政策などには、今後注目していくテーマでしょう。
<2月>
◆ハワイ沖で原潜グリーンビルと漁業実習船「えひめ丸」衝突。行方不明9名。
※2月14日の危機管理小論をご参照ください。
<3月>
◆芸予地震発生(M.6.4、特に呉・松山地区の被害甚大)
昨年の有珠山・三宅島噴火、鳥取県西部地震など、D危機が頻発しています。現在メインコメンテーターをつとめております、朝日ニュースター「if...まさかの時の危機管理」の担当ディレクターは、奇しくも呉市の出身で、番組制作にあたって徹底的に地震について勉強したことが役だった、とのことでした。阪神大震災からすでに6年が過ぎましたが、風化させることなく、常に災害対する危機意識を持っておかなくてはいけないと思います。
<4月>
◆小泉純一郎内閣が発足
いきなり支持率が80%以上、メルマガ購読者も200万人を突破しました。「聖域なき構造改革、構造改革なくして景気回復なし」がキャッチコピーとなりましたが、この勢いで国民の期待に応える政治が断行されることを願います。
◆出会い系サイトをきっかけとしたメル友殺人事件が複数発生(~5月)。
C(コンピュータ)危機とはいえないかも知れませんが、インターネットと携帯電話の普及に伴って現れてきた、新しい犯罪の形です。ネット社会により広がってゆく個人の世界と、その中でひとりひとりが自覚や責任意識をどう保っていくかが、今後ますます問われてくる時代となるでしょう。
◆レッサーパンダ帽をかぶった男に女子短大生が刺殺される。
触法精神障害者については、良好な治安を保つ上で早急に議論され、策が講じられなくてはなりません。現在は刑法第39条により「心神喪失者は罰せず、心神耗弱者は刑を減免する」とされておりますが、平成7年から12年までの5年間に殺人を犯した触法精神障害者は726人、うち602人(82.9%)が不起訴になっています。病気のため再び犯罪を犯すことを防ぐためにも、刑務所に準じた施設を作り、完全治癒するまで社会復帰させないなどの治療とあいまった刑事・司法政策は急務です。
<5月>
◆田中眞紀子外相の発言・人事・外交問題をめぐる議論が白熱。
総裁選の際の田中発言をめぐる党内感情の対立、アーミテージ米国務副長官との会談ドタキャン、米の新ミサイル構想に対する批判、機密費流用事件に関わる外務官僚に対する不信、党内強力派閥出身議員との対ロ外交政策の相違等から、一挙に紛争が爆発しました。たびたび国会の委員会などで対立が際だちましたが、総理の調整により収拾されました。いずれも党内対立感情不満の結果とはいえ、外相としての資質を疑われるような行動や発言は厳に慎むべきです。
◆金正男と思われる人物が不法入国をはかり強制退去
ゴールデンウィークの最中、偽造パスポートで不法入国使用とした金正男の取り扱いをめぐっては、国内で議論が巻き起こりました。日本の外交政策として、極めて機を逸した措置であったと思われます。
<6月>
◆大阪教育大学附属池田小学校で、侵入男による大量児童殺傷事件。
「開かれた学校」が全国的な流れとなる中で起きた、非常に悲しい事件です。小学校での殺人事件は、すでに1999年12月京都で発生しておりましたが、それを教訓にした侵入者に対する防止策が皆無に等しかったことについては、早急に検討されなくてはなりません。また、この犯人が精神障害者であったかどうかは、今後の鑑定によるものと思われますが、精神障害者の凶悪犯罪に対し、人権派の必要以上と考えられる一方的な保護策に対する法の未整備等についても、国民に大きな問題を投げかけました。あまりにも犠牲の大きい事件で、これらの早急な対策を講じる必要があります。
「人の噂も75日」といいますが、75日も話題にすることすらできないほど、数多くの事件・事故・事案が、この半年の間におこりました。
いよいよ参議院議員選挙に突入しました。各党党首の演説は、耳障りはよく聞こえます。
政治の第一義は「国民の生命・身体・財産を守ること」です。このことを念頭において、投票所に足を運んでほしいと思います。
小泉総理のメールマガジン (2001年5月31日)
小泉総理のメールマガジンが6月に創刊されるとのこと。総理からのメッセージなどを、積極的に発信しようという姿勢を、私は高く評価します。今後、ITを活用して国民が意見を述べることも、ますます増えてくるでしょう。
私も本日、小泉総理・石原都知事あてに、以下の小論文を送信いたしました。
<外国人犯罪取締りを強化しよう>
無法地帯と化した新宿歌舞伎町の治安対策として、監視街頭カメラが50台設置されたという。
ジョージ・オーウェルが1949年に執筆した近未来小説(すでに過ぎ去った近未来だが)『1984年』じゃあるまいし、強力な執行力をもった“ビッグ・ブラザー(スターリン型独裁者のこと)”が強力な取締りをやってこそ、はじめて抑止力になるので、カメラ設置など姑息なやり方で、昔のニューヨークと入れ替わってしまった日本の首都東京にみなぎる都民の不安感・警察不信感は、拭えるものではない。いま、削減論の対象となっている機動隊の集団警備力を活用し、とりあえず外国人犯罪の温床となっている歌舞伎町・六本木・池袋に巣くう違法風俗営業の一斉取締りを断行すべきだ。
そうすると、一部人権派の間で、おそらく“小泉ヒトラー”“石原ハイダー”の国家主義的外国人排斥だ、という声があがるだろうが、蛇頭・ピッキング窃盗団・福建省マフィアなどによる凶悪犯罪を断固取り締まることは、1億3000万日本人はもとより、150万の合法的在日外国人たちの生命・身体・財産を守り、善良な在日外国人たちの名誉と安全を守ることなのだ。
小泉純一郎総理、
国民の貴方への期待に応えて治安の回復を断行してください。
石原慎太郎知事、
ニューヨークを救ったルドルフ・ジュリアーニ市長の役割を、警視庁を使って果たしてください。
2001年5月17日付『産経新聞』「正論」欄掲載論文(2001年5月31日)
2001年5月17日付産経新聞「正論」欄に発表しました私の論文について、多くの反響がありましたので、このホームページ上でも掲載いたします。
「マスコミも構造・意識改革すべし」(『産経新聞』2001年5月17日掲載)
◆「構造改革」の大合唱の中で
いまや世の中は「構造改革」の大合唱である。一昔前は「政治改革」が合言葉だったが、それが見果てぬ夢となってから久しい。小泉純一郎・構造改革内閣が発足し、「構造改革なくして景気回復なし」との小泉発言が流行語になった観があるが、この激変するIT(情報技術)時代では「意識改革なくして構造改革なし」なのではないだろうか。「構造改革」というと、三権分立の国権「立法・司法・行政」の改革。そして経済・財政・金融の諸問題の議論がかしましいが、その一大キャンペーンの旗手、「第四の権力」とよばれるマスコミの意識改革、構造改革を論ずる声はきかれない。
まさに小泉総理のいう「聖域なき構造改革」は、マスコミの自己反省の意識改革も当然含まれなければならない。具体例をあげよう。
◆踏み絵のような「靖国質問」
小泉新内閣の組閣当夜、総理官邸での新閣僚の初記者会見をテレビ中継でみていると、クラブ幹事の代表質問が終わるとすかさず「朝日です」と名乗る官邸記者の一人が、全閣僚に一人ずつ執拗に「靖国参拝についての小泉発言をどう思いますか?」と質問し続けた。所掌事務についての抱負経綸をきくならわかるが「靖国参拝」についての新閣僚の所信をきくのだ。
たしかに小泉新総理の初記者会見は異例ずくめだった。原稿なしで自分の言葉で所信を表明し、これまでの自民党のどの総理も避けた三つのタブー、「憲法の部分改正(首相公選制)」「集団的自衛権の解釈運用」「自衛隊に敬意を以て接する法整備。靖国神社参拝は当然」と発言した。
旧態依然たるマルクス・レーニン唯物史観のマインド・コントロールからまだ醒め切らない一部のマスコミにとっては、どの一つをとっても大問題発言で、多分朝日の記者は森前総理の『神の国発言』の小泉版で、これぞ反自民・反小泉の大キャンペーンの一番槍と思ったのだろう。
閣僚にも宗教・思想・信条の自由は憲法上保障されている。発言したのは小泉氏だ。新総理にくり返し「靖国問題」をきくのは報道の自由だが、各閣僚に一律に所信を問うという政治感覚は、幕府のキリシタン宗門改めの「踏み絵」であり、中世ヨーロッパの魔女狩りの異端審問宗教裁判を連想させ、私は不愉快だった。ナチスかオウムの世界ならいざ知らず、現代の日本では「踏み絵」は許されない。国民の政治意識はマスコミの浅薄なポピュリズムをはるかに大きく超えてうねり、“三大問題発言”は第二の「神の国発言」にならず、小泉内閣の支持率は多くが86~87%(朝日のみ78%)と戦後最高を記録し、「勝てば官軍」の諺どおり「踏み絵」の結果は紙面を飾らなかった。
◆中国・北朝鮮に過度の遠慮
新人に等しい未熟な記者を官邸に配置するという、全く不可解な各社の人事にも問題がある。意識改革が必要なのは政治部だけではない。
事件取材に熱中するあまり被害者のプライバシーを侵害し、加害者の人権は仮名、ボカシなど過度に尊重するが、被害者の人権は軽視する社会部。芸能人・有名人に対する芸能リポーターの人権蹂躙、試合の直前に有望選手に密着取材して「金メダル、とりますか?」など、プレッシャーをかけて駄目にしてしまうスポーツ記者の取材競争など、意識改革が必要だ。
中国、北朝鮮に対する外信・外報部の過度の遠慮も再考の余地があると思う。なぜ「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」とくり返し呼称するのか。「金正男と思われる男性」の国外退去措置についての報道ぶりは「触らぬ神に祟りなし」「毛を吹いて傷を求めるなかれ」といった、いま改革の対象となっている「不作為」「事なかれ主義」の残滓(ざんし)ではないのだろうか。構造改革やシステム改善の対象も多い。
「差別用語」や「放送禁止用語」は、一体、いつ、誰が、何の権限・基準・手続きで決めるのか。筆者は歴史的事実である「士農工商」「狩猟民族と農耕民族」という語を論文中で用いて差別用語だと指摘された経験がある。
極左過激派、カルト、暴力団に対する過度の遠慮、たとえばまだ最高裁判決がないから「オウム真理教・地下鉄サリン事件」というのを慎めとか、「日教組」に「イデオロギーを信条とする一部教職員の組合」と訂正の朱注をいれるのも不可解だ。「第四の権力」はそれこそ国民に「情報公開」して理由を説明すべきだ。
「構造改革」に「聖域」はない。立法・司法・行政に次ぐ「第四の権力」マスコミも、自主的に意識構造改革を行うべき秋(とき)がきている。
『正論』2001年3月号掲載論文の抜粋(2001年2月16日)
「えひめ丸・米原潜衝突事故と危機管理」については、2月14日のこのコーナーで論文を発表いたしました。このような事故を予測していたわけではありませんが、月刊誌「正論」2001年3月号に拙文を発表しておりました。これをお読みいただければ、よくおわかりいただけると思いますが、同文から危機管理に関連する部分を抜粋して、以下に掲載いたします。
要するに、
(1)組織改正によって政府の危機管理能力は充実されたのか
(2)国家公安委員会委員長の伊吹文明大臣に「危機管理担当大臣」とわざわざ明示したが、この任務分担は法制上きちんと整理さているのか
(3)従来設置されていた内閣安全保障・危機管理室が廃止され、内閣官房副長官補となったが、従来ここの所管となっていた危機管理はどうなったのか
など、国家的大事故や大災害が生じた場合、改組後の組織は、「機敏に実効性のある対応(対処)ができるのか」「トップ・ヘビーではないのか」「法制上整合性はとれているのか」などについて述べたものです。
「国民の知らない中央省庁再編の盲点」(『正論』2001年3月号掲載)
※抜粋/一部修文
平成10(1998)年6月に成立した「中央省庁等改革基本法」ならびにその後逐次成立した78本の関連法に基づく新府庁体制が21世紀冒頭の1月6日、発足した。
最大の特徴は内閣府の新設による内閣機能の強化である。沖縄・北方対策担当、金融庁所管事務担当など特命担当大臣のいわば無任所国務大臣6人のポストが設けられる。大臣室に専用車に秘書官、秘書嬢をはじめとする庶務係という数億円の予算を要する改革だ。
官房副長官は政務2人、事務1人の3人。
「内閣府」はさらにトップ・ヘビーになる。事務次官のほかに「内閣府審議官」が2人。
官房長以下局長クラスが5人。さらに、新たに7人の「内閣府政策統括官(大蔵・経企・科学技術・建設・自治・もう1人経企)」が新設された。このほかにかつての内閣官房・事務副長官に準ずる「内閣危機管理監」がいる。
コンピューター用語に“ドッグ・イヤー”というのがある。犬は人間の7倍早く成長し、7倍早く死ぬ。人間は長寿国日本では男性78歳、女性84歳。人生設計にしても日常の仕事にしてもこの平均寿命を基準に、会議を何回もやり、根回しをやり「和を以て尊しとなす」を「ヒューマン・イヤー・ペース」で実施してきた。行政改革をし、省力化し、能率を向上させようとしているときに、こんなことで果たしていいのだろうか。内閣機能を強化するとか、政治が行政を、政治家が官僚を指導するといっても、トップ・ヘビーにしてトップたちを“顕官栄職”の「認証官」にしたからといって、政治家の質が悪く、不勉強で、小田原評定(定義・・・「会スレド議セズ、議スレド決セズ、決スレド行ワズ」)をしていたのでは行政能率は逆に低下し、国民のための行政とは程遠い改悪になってしまわないだろうか。
平時においてもトップ・ヘビーの組織の運営は難しい。決裁をとる上司、かりに省庁数は減っても省庁内の合意形成のための合議対象の同列同級の幹部が増えれば増えるほど、簡単にいえばハンコの数が増えれば増えるほど、機関意思決定は遅れ、その執行はさらに遅れる。まして危機が発生したとき、指揮命令系統が多岐にわたり、複雑怪奇に入りくんだものであれば、寸秒を争う人命に関わる対応は遅くなること必定である。だから軍隊や警察などの危機管理実力組織では司令官→師団長→連隊長、さらに大・中・小・分隊長と指揮系統は一元的でなければならず、スピードが要求され、上下直列の即応性が必須の要件となる。
戦う組織は単純な方がよい。だから毛沢東は文化大革命の一大眼目として人民解放軍を単細胞化し、「指揮員」と「戦闘員」の二階級にして佐官、尉官などの階級を全廃した。これは明らかに行き過ぎで、後日文化大革命が1千万とも2千万ともいわれる犠牲者を出し、中国の発展を10年以上遅らせたとして、江青ら4人組は死刑判決、鄧小平らは名誉回復、そして人民解放軍の階級も復活し、軍服も金の肩章つきの派手なものになった。
民間企業でも職制を変えて部・課・係長制を廃し、チーム・リーダーとか参事とか機構を単純化して「ドッグ・イヤー」のスピード重視の世界の流れに対応しているのに、日本の中央官庁再編は危機管理の基本原則に反してトップ・ヘビー体制にしてしまった。
これから試行錯誤で運用の面で改善していく方針なのだろうが、現行の制度そのままでは明らかに国家危機管理の指揮命令系統は混乱している。なにか大事件・事故が起きたとき、果たして国家の最大の使命である「国民の身体・生命・財産」の安全を守る“護民官”の任務を全うすることができるかどうか。危惧の念を抱かざるを得ない。
問題は21世紀的危機である「A・B・C・D危機」の国家管理である。《A危機》(アトミック、R=放射線、レディエイション。N=放射能、ニュークリア、いずれ同じ)の実例は、1999年9月30日、日本中を、とくに原子力発電所51ケ所の周辺住民を震撼させた東海村核燃料加工工場臨界事故である。
事故発生と同時に、国又は地方公共団体が直ちに行うべき5つの危機管理行政の初動措置即ち、(1)人命救助 (2)減災(ミティゲイション、中性子を止める) (3)避難誘導 (4)緊急治療 (5)緊急輸送(ヘリの運用、緊急車両優先通行の交通規制、負傷者の搬送、必要物資要員の輸送など)については“想定外でした”と顔をひきつらせるばかりで国はほとんど何もできなかった。30万住民の避難は橋本茨城県知事や村上東海村村長の仕事となり、橋本知事は「日本には国家というのは存在しないのか」と怒り、村上村長は「30万人もの避難誘導を村長の私にできるとおもいますか」と悲痛な声をあげた。
政府は大急ぎで「原子力災害特別措置法」という特別立法措置を講じ、とりあえず責任官庁を「科学技術庁」とし、内閣総理大臣に防衛庁に対する自衛隊出動要請ができるよう法的手当てをした。
しかし、この1月6日の中央省庁改編で、「科学技術庁」は文部省に吸収合併され、「文部科学省」へ衣替えした。システムやいれものはそれでいいだろう。だが、コンテンツ、中身はどうなるのか。
災害対策基本法は、情報端末も当直体制も災害救助実動部隊も何ももたない旧国土庁が所管していた。実動部隊である自衛隊は、自衛隊法第83条により「要請主義」(都道府県知事の要請をまって出動)となっていていわゆる「命令出動」(官邸主導)はなく、防衛庁長官の指揮下にある。海上保安庁は旧運輸省、現国土交通省に属し、警察は国家公安委員会、地方自治体は総務省、消防は制度上総務省消防庁となっているが、消防組織法第19条は「消防の独立性」を謳い、全国市町村長3229名が個々別々の指揮権をもっていて(現在約910本部に統合)、第19条は明文の規定で「消防庁長官又は都道府県知事の運営管理又は行政管理に服することはない」と明記している。大規模災害に対する国家危機管理体制は、1995年1月の阪神大震災以来、根本的なソフト、法律、コンテンツの改正はなく、今回の機構改革ではいれ物のみの組みかえが行われただけで消防法などはほとんどそのままで、これでは護民官の任務は果たせない。
ABCD危機は国の任務なのである。
今回の行政改革で評価できる改善点がある。それは、内閣法第4条が改正され、いままで単なる閣議の司会者にすぎず、他の閣僚と同格の存在にすぎなかった内閣総理大臣に、閣議における「発議権」が与えられたことである。
私の持論、すなわちマッカーサー法体系の抜本的見直しの第一関門は「内閣法」改正、とくに第6条に「閣議を催すいとまのないときは、ABCD危機など、事項を限り、期間を限定して、内閣総理大臣は行政の各部を指揮監督する」と一項加え、「但し可及的速やかに閣議の追認を要す」と、“ドッグ・イヤー”の緊急対処の権限を加えることだったが、これは残念ながら見送られた。
できるなら21世紀の初頭において、憲法や内閣法のような対決法案は避けることとしても一日も早く多数決で可決できる特別法、「危機管理基本法」「緊急事態対処法」「安全保障特別法」、名称はなんでもいいから真に内閣総理大臣や内閣官房、内閣府機能強化を実効性あらしめる立法(議員立法でもよい)を行うべきである。
えひめ丸・米潜水艦衝突事故と危機管理 (2001年2月14日)
森喜朗総理の同事故に関する言動(ゴルフ続行・不適切発言)が、「危機管理」との関連で大変な政治問題となっているが、本件に関する私の見解は次のとおりである。
一. わが国法制上の内閣総理大臣の権限と責任
総理が直接指揮をとるべき国家危機管理上の任務は、(1)侵略に対する防衛出動下令(自衛隊法第76条)、(2)警察緊急事態の布告と全国警察官の指揮(警察法第71条ならびに第72条)、(3)緊急災害対策本部の設置および本部長就任(災害対策基本法第28条の2ならびに第28条の3)である。
消防組織法(消火救命)、海上保安庁法には、「総理の指揮権」はなく、指揮権と責任は消防は全国約3200余の市町村長に、海上保安庁は国土交通省大臣にある。したがって海難事故は、一般論でいえば基本的には国土交通省とその指揮下の海上保安庁の所管事項である。
一. 「特殊国際大事件・事故」に該当
「えひめ丸」事故対策は、法制上は日本国総理大臣の職権の及ばないアメリカ合衆国の任務であるが、本年1月6日、中央省庁等改革による内閣機能の強化後、初の大きな国際事故であることから、1986(昭和61)年7月に制定された「安全保障会議設置法」により責任官庁・責任大臣(リード・エージェンシー、リード・エージェント)は本件については「内閣官房」「内閣官房長官」所管事項と考えられる。
同法に基づく内閣安全保障室設置に関する後藤田正晴官房長官(当時)の国会答弁は(1)ダッカ事件のようなハイジャック事件、(2)ミグ25亡命事件のような特殊亡命事件、(3)大韓航空機撃墜事件のような特殊国際大事件・事故、(4)治安問題を伴う関東大震災のような大災害、であったが、今回の事故はそのうちの(3)「特殊国際大事故」に該当すると判断される。
ゴルフ場から携帯電話でも「所管大臣は官房長官」と指示していれば問題はなかった。
一. 行政改革後の危機管理行政の指揮系統未整理に問題有り
本年1月6日、中央省庁等改革が行われ、内閣の危機管理機能が建前上は強化されたが、日も浅く、危機管理指揮系統・責任分担が未整理のままであったことから、混乱が生じた。
すなわち、(1)伊吹文明危機管理担当大臣は、警察行政所管の国家公安委員長であり、本件のリード・エージェントか否か疑義があり、本事故は警察庁の所管でない。また、安藤忠夫危機管理監は伊吹危機管理相の指揮下ではなく官房長官の指揮下にある。(2)海上警察として本事故の情報初動措置に責任のある海上保安庁は国土交通省の指揮下にある。(3)防衛庁、海上自衛隊は防衛庁長官の指揮下である。(4)日米安保条約と日米外交問題は外務省所管であり、外務大臣の指揮下にある。(5)「えひめ丸」は水産高校の実習船であるから文部科学省の所管である。
一. 以上の理由から、本事故は内閣官房長官が内閣法第12条の調整権を発動して初動措置を執るべき「特殊国際大事故」と認識するのが妥当であろう。
その点、内閣危機管理センターの情報収集は敏速に機能し、問題はない。むしろ、3人の官房副長官の「30分待機システム(多年の失敗例から編み出されたシステム)」の作動が遅れたことは反省を要する。
一. 「危機管理」には、総理が指揮すべき「クライシス・マネジメント」のほかに、国家行政組織法に基づく「インシデント・マネジメント(事件処理)」と「アクシデント・マネジメント(事故処理)」があり、それぞれ所管省庁・担当大臣がついておこなわれる。何でも総理の責任というのは誤りで、司々(つかさつかさ)で初動措置をとるのが常道である。
しかし、本件に限っていえば、(1)ブッシュ政権誕生(1月20日)後、初めての日米間の大問題、(2)事故当事者が米原潜、(3)行政改革(1月6日)後の初の特殊国際事故であり、危機管理指揮系統が確立されていなかったこと(拙論文 月刊誌「正論」2001年3月号「国民の知らない中央省庁再編の盲点―危機管理はこれで大丈夫か」を参照)、(4)被害者が水産高校の生徒たちで、行方不明者が9名もでていること(単なる事故ではなく人身事故)、(5)森総理がゴルフ中だったこと、からいえば、機密費問題、KSD問題などの時節柄、政治家の姿勢としては内閣所管の「特殊国際大事故」と認定して、速やかにプレーを中止し、官邸に戻るのが正解だったと思われる。
残念なことは、森総理自身の言動が本質的には「事故」だった本件を「危機」に増悪させてしまった感のあることだ。米海軍の現場措置については問題はあったようだが、対日関係重視のブッシュ政権の敏速な公式謝罪など危機管理感覚の温度差が大きかったことも、事態を必要以上に悪化させた。
一. 本来危機管理職種の公務員で初動措置責任のある者は、「24時間365日」有事即応の体制にあるべきもので、その任に在職する期間は少なくともゴルフは自粛すべきものと心得る。
第2次安保闘争の990日の警備に際しては、当時の警備局長から「警備公安の者でゴルフをやる者は即刻辞表を出せ」との厳命が下り、爾来私はゴルフをやめて今日に至っている。藤森昭一元官房副長官は中曽根内閣の5年間の在職中、シングルプレーヤーであるのにゴルフを自粛していた。往復に長時間を要するゴルフ場は、危機管理担当者にとって鬼門である。成田闘争の最中、ときの警察庁長官と警備局長らが日曜ゴルフコンペを行い、成田では死者もでる大警備となり、マスコミの激しい批判を浴びた。私はこれらの上司を厳しく批判したため、防衛庁出向を命ぜられた。
だが、内閣総理大臣は激務であり、危機管理の第一次初動責任者ではないので、気分転換のためゴルフをすることはなんら批判されることではないが、秘書を同行しなかったとか、車を帰してしまったというのは、有事即応の危機意識に欠けていて遺憾である。高級ゴルフ場ではメンバーが政治家を嫌い、SPや秘書を帯同する事を白眼視することがあるとも聞くが、その場合は在任中はそのようなゴルフ場は避けるべきだろう。
一. いま前向きに、しかも可及的速やかに行うべきことは、今回の事故であきらかになった行政改革後の危機管理指揮系統の混乱と責任所在の不明確さを総点検して、神経組織の縫合と行うことであろう。マスコミの論調をみても、この視点が欠けているように思われる(2001年2月14日付毎日新聞の社説がこの点を衝いている)。
政府部内の混乱はあったが、一方明るい話題として次のことを紹介しておきたい。防衛庁は、事故の第一報(2月10日 10時40分頃)が伝わると、直ちに情報収集態勢に入り、その日北海道に出張中であった防衛庁長官も当日の夕刻には帰京した。それまでの間にも、防衛庁ルートの各段階での協力要請、情報収集などを実施している。
内局は国防省レベルと統合幕僚会議議長・海上幕僚長などそれぞれの職務の段階で、米側カウンターパートへ日本国内の情報や国民感情などを率直に伝えるとともに、ベールに包まれた原子力潜水艦のからむ事故であるので、専門用語も多く、通訳も一般の通訳では意味が通じないため、急遽海上自衛隊から2名の潜水艦艦長経験者を現地に派遣するなど、密接な協力を行った。日米関係が事故の大きさに比し、スムーズに進んだのは、蔭にこのような人間関係による情報の交換が率直に行えたことによるところが多い。
2009年
2008年
2006-2007年
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